おっぱい110番ママの声  O・Mさん

重症アレルギーの子3人を育てて

私には、とても頑張り屋の子どもが3人もいます。
近頃は3人とも、随分健康になりましたが、小さい頃は、病院通いが日課でした。
食物アレルギーから始まり、喘息、薬のアレルギー、鼻炎、結膜炎、胃腸炎、アトピー、等アレルギーと名の付くものは、ほとんど持っています。風邪をひけば、直ぐに肺炎になり、年がら年中入退院の繰り返し。そんな子どもたちも、今は無事成人し、それぞれ信じた道を歩んでいます。

長女は、小さい頃から病院のアレルギー食のお世話になってきました。
そんなある日、ベットの上で突然
「どうして病院のご飯美味しくないの?お家のご飯はアレルギーのご飯だけど、美味しいのに。私、患者さんが喜ぶ美味しい病院のご飯を作る人になる」と。驚きました。
大人しい娘が、あまりに熱く語るので、アレルギーの食材の件で、懇意にして頂いていた管理栄養室の主任さんに相談しました。
まだ小学6年生の娘の話を真に受けて、傍から見たら親ばかに見えたでしょうが、でもあの時、子どもの単なる夢と聞き流していたら、今の娘は無かったと思います。
娘は給食が食べられず、お弁当を持参していました。
1年の時、それが原因でクラスメートから
「前世で悪いことしたっちゃろ。罰が当たって、給食食べられんったい」
と言われ、泣いて帰ってきたことがありました。
泣きじゃくる娘に「あなたは、悪くない。アレルギーがある事も、体が弱いことも、あなたの個性なんだから、堂々として良いの」と言いながら、私も悔しくて一緒に泣いていました。人と違うことが、認めれれない世の中に腹が立ちました。こんなことで、引け目を感じ、引っ込み思案になってほしくない。
だから、娘が管理栄養士になりたいと言ったとき、夢を叶えられるように、親として出来る事は何でもしたいと思いました。
喘息と共存しながら、いろいろなことにもチャレンジし、挫折もたくさん経験しましたが、親の私たちが驚くほど根気強くコツコツと頑張りました。


その長女が大学に入学して間もない頃、栄養学科では、資料となる食生活統計を取るらしく、1週間の食事内容を詳細に記入すると共に、血液検査をすることになりました。
そして1週間後、献立表を見た助手の先生が一言
「こんなに食べてるの?朝から食べすぎじゃない」
確かに、普通の家庭では考えられないでしょうが、食物アレルギーの子ども達の栄養バランスを考えると「1日30品目、毎食1汁3菜」が当たり前でした。結局血液検査の結果も、良好でしたし、カロリーも栄養バランスも、今時の女子大生に比べて、優秀とほめて頂き「ほらね、アレルギー食は体に良いんだから」と得意げでした。
「アレルギーに良い薬膳を作りたい」と大学院へ進みましたが、マウス相手の生活よりも、人と関わる仕事がしたいと、高校の先生に転身しました。


その娘も、昨年病気に理解がある方とご縁があり、結婚しました。
頑張れば、何とかなると、子どもを育ててきましたが、結婚ばかりは、相手があっての事。弱い体に生んでしまったことを悔いていました。
娘には「病気も個性」と言っておきながら、かなり矛盾しています。
そんな葛藤があったので、結婚が決まった時は嬉しくて、嬉しくて「生んで良かった」とまた矛盾。でも、それが親というものかもしれません。

長男は国立機構長崎病院で、薬剤師として末期がんの患者さんを担当し「命」と向き合う日々を過ごしています。
その息子も小学校の頃は、入退院を繰り返し、それが原因でいじめにもあいました。
3分の1ほどの日数しか出席できないこともあり、養護学校に転入という話もありました。
主治医の先生に
「喘息の発作や発熱も、本人の自覚はありませんが、コントロールしているようです」
と言われたときはショックでした。しばらく、親子でカウンセリングを受けました。


そんな私たちを支えて下さったのが、幼稚園からずっとおせわになっていたサッカーのコーチや、主治医の先生、ちょっと厳しく、優しい学校の先生でした。
子どもは両親だけで育てるのではなく、たくさんの方々に支えられて、大人になっていくんだと息子が教えてくれたのだと思います。


そんな何処か弱々しい息子が、薬剤師という職業を選んだのは、抗生物質が合わず、病気が長引き辛い思いを何度もしたからです。
中学3年の頃には、
「アレルギーを治す薬を作るんだ」
とハッキリと言うようになりました。でも、思いと成績はな中々折り合いが合わず、かといって無理をすれば、入院という状況の中、テニスと勉強の両立、よく頑張りました。
「薬を作る」という夢は、いつしか「病気の人と関わる薬剤師」へと変わりましたが、細々と命の灯してきた息子にとっては、患者さんと一緒に病気と向き合うこの仕事は、転職だと思います。


3人の子どもたちは、小さい頃から「素朴ですね」「優しいですね」とよく言われました。
今まであまり深く考えていませんでしたが「母乳で育った子は、愛情をたくさん貰っているから、心が安定している。だから駆け引きをしないの」と平田先生が、話されていたのをふと思い出しました。

母親の血液が母乳となり、子どもの血や肉となっていくのですから、赤ちゃんにとっては、これ以上ない贈り物。
母乳には、元気に育ってほしいという母親の願いが凝縮され、その上「今日は美味しい?」「たくさん飲んでね」と話しかける。そんな愛情で、満たされた子どもたちですから、大人の気を引くための嘘や、人を押しのけてでも前に出る、というような駆け引きは必要ないのでしょう。


しかし今は、悲しいことに、要領が悪いと生きにくい時代になっています。その顕著なのが二女です。二女は小さい頃より聞き分けが良く、しっかりした子どもでした。
しかし、4年生頃から、責任感や正義感が故に、周りと衝突することが増え「要領よく立ち回ったものが、評価される」というこにに納得がいかず、イライラするようになり、反抗期が始まりました。
上の子どもたちには、反抗期らしいものがなかったので戸惑いました。

しかしよく考えてみると、幼い頃、一番母親の愛情がほしい時に、息子の入院などで、ほとんど構ってなかったツケが回ってきただけなのです。
聞き分けが良い、というのは、裏を返せば、我慢しているということですし、感情を出せない環境にあったということになります。でも、そういう不器用で、ナイーブな娘の本当の姿に気付くのに、かなりの時間がかかり、その分、娘には辛い思いをさせました。

二女は、私との葛藤から、心理学の勉強を始めました。深層心理を学ぶことで、自分自身や私を客観的に見せようとしてのでしょう。まだまだ乗り越えられたわけではありませんが、マイナスはプラスにもなると気付いたことで、前に進む一歩になったのではないかと思います。そんな葛藤中の二女も、無事今年就職しました。


子ども達が、それぞれ輝いているのを見るのは、親として最高の幸せです。
これからも辛いこと、哀しいこととキチンと向き合い、1日1日を大切に生きてほしいと思います。でも、もし疲れたら「いつでもここに戻っておいで。少し休んでいいよ」と言えるような心の大きな親でありたいと思うこの頃です。

(O・Mさん)

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