息子17才……17年前を振り返って思うこと
今から17年前、3歳の娘と1カ月の息子を車に乗せて、ペーパードライバーの私は平田先生のところへ行きました。決死の覚悟で…
小児科医の夫は、第一子を妊娠した時から、「絶対、母乳で育てるぞ」と言い続けていました。でも、私のおっぱいは、小さく硬く何の役にも立たない。出ない乳首をしゃぶって泣く娘。娘の顔に私の涙がボロボロ落ちてきました。内科医の義父は「人間ならお乳が出るはず。もっと沢山食べて本当のお母さんになるんだよ。」と励ましてくれました。5人の子どもを育てた義母は、「どうしてかねぇ」と気を揉む。義理の姉たちは皆、溢れるように出たと聞かされ、お乳に効くというものはあれもこれもと試しました。でも、役立たずのおっぱいは用無しとなって、ミルクで育った娘は、剣山を指さし「あれでガリガリして!」と訴えるアトピー子になりました。お乳に効くはずのものが皆私の体重になり、本当のお母さんになれないと思い込んだ私は、自信も失って、いじけていってしまいました。
そんな時、第二子を授かり、私の頭の中は、授乳の悪夢でいっぱいでした。すると、夫が「最後の切り札があるよ。」と言いました。
その切り札こそ、《おっぱい110番》の平田先生でした。
《おっぱい110番》では、初めての妊娠からの経緯をお話しして、先生は「そうね。そうね。」「辛かったね。」と大きく肯き、時間をかけて聞いてくださいました。そして、「一緒に頑張ろうね」と励まして下さいました。お乳が出なくても、先生にお話しできて良かったと思った私に、「何言いよるね。ちゃんと出るようにしてあげるから、言う事を聞いて頑張るんよ!」と。
先生の所に通うことが、毎日から1日置き、そして、三日に一度と間があけられるようになり、私のおっぱいは大きく柔らかになり、ピュンピュン、トクトク出るようになっていきました。手技していただく間、もう天井までピューンピュン。
ちょっと気が緩んで、カレーライスを食べた時は、やさしい先生が、仁王様になって、ガンガン、ガミガミ、「何を食べたんね!!」と、すぐにバレてしまいました。「どうしてバレちゃったのかしら…?」その時、先生は悲しそうな顔をしていらっしゃいました。「頑張る約束やったやろうが。」…本当にそうでした。心を入れ替えて頑張ろうと思い、受診日はハートもカウンセリングで、断乳の日までよくやりました。いえ、よく支えて下さいました。
カレンダーの✖印を指して「パッパイ、ナイナイネー。」の一言で終わった息子の断乳。周りの言葉がすべて針のように痛かった初めの時と違って、「息子の断乳は大きな喜び」と自信に満ち溢れたものでした。
でも、それだけではなかったのですよ!
お乳のための食生活が良かったのか、娘のアトピーも改善し、外食しなければOKと先生から許しも出ていたので、私の心も平和になり、それがまた、娘のためにとても良かったようでした。娘と息子と三人で音楽を聴いたり、観劇したりするようになりました。
そこで発見!!娘と同じ年くらいの子が静かに出来ず注意されたり出されたりしているのに、まだ筋もわからない下の息子が、手をたたいて喜んだり、涙ぐんだり、ため息をついたりするのです。音楽に合わせて身体をゆすり、恐ろしげな場面では手をぎゅっと握ってくるのです。娘が祖父母にその日の事を話していると、自分もパンフレットを指して「あーあ」「(ョ)かったー」「こわい、こわい」と精一杯、心豊かに表現してみせたのです。
平田先生にめぐり合って、私の子育ては苦悩から喜びに変わりました。そして、こどもたちが、保育園や小学校の行事、地域活動などリーダーになり、小さな子に慕われている様子をみるのは嬉しいことでした。
そして、子育てから手が離れた後、義両親の介護などありましたが、食事、お風呂、おむつ替えなど、あらゆることを嫌がらずにとてもよく手伝ってくれました。ほんとにやさしい子に育ってくれました。親ばかですね!?
でも、それは、平田先生との出会いがあってこそと確信してます。
私の17年間は間違っていない。
だって、「世にいう恐怖の17才」ではなく、私の息子は17才、いい子です★



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