6人の子どものママになって
私が初めて先生にお世話になったのが昭和61年の春でした。
その頃すでに開業5年目に入っておられたのですね。上の子のときは私はいつも母乳が足りず、粉乳にたよっていました。
「一度ぐらい母乳100%で育ててみたい!」と、産院にいるうちから予約しましたが、それでも1ヵ月待ちでした。
その時
「待っている間、足りないからってすぐ粉ミルクや哺乳瓶を使わず、お白湯をスプーンで飲ませてしのいでください。頑張ってください」と言われ驚きましたが、その通りにしました。
待ちに待った初診の日、私は赤いチェックのシャツを着て、にこにこ顔をして行ったつもりでしたが、「あなた程くら~い顔した人は初めて」と先生に言われ、心の中を見抜かれました。
私は張りつめていた心がゆるんで安心し、続いて受けた先生の手技には、気持ちがよくてウットリしました。硬かったおっぱいが、ブワンブワンになり、乳がピューピュー出始めて、天にも昇る気持ちでした!!先生のおかげでその日から私はおっぱいのよく出る母親に変身いたしました。
そしてそれからは、粉ミルク・湯・哺乳瓶の呪縛からのがれ、どこにでも身軽に出かけられいつでも即座に適温で衛生的でおいしい母乳を、好きなだけ吸わせてあげられるようになり、育児が急激に楽になり、余裕ができて母も子も大変幸せになりました。
そして思った事は、「な~んだ。こんなに楽なら、あともう一人産みたい!」…その後も二人の子に恵まれ、その度に先生にお世話になりました。
よく考えますと、もし先生にお会いすることがなかったら、うちの子は4人兄弟のまま…だったかもしれません。ひょっとして少子化対策の目玉は母乳育児の普及」なのではないかという気がしてなりません。
その頃の《おっぱい110番》は福浜団地のある1棟の1階にありました。
その「間取り」もよく覚えています。
せまい中に若くて知的で温かいママ達がたくさん!漂うおっぱいの甘いにおい!立ち上る熱い湯気!飛び散る母乳!ピンクの仕事着姿の先生の口からは、まるで全赤ちゃんの気持ちを代弁しているかのような、叫びにも似た力強い指導の声が。泣くママ、おこる親。赤ちゃんを抱きかかえる助手の浅井さん。そんなの慣れっこの他のママたち!次々とかかってくる、問い合わせの電話!…先生は助手の浅井さんに電話機を耳に当ててもらい手技を行いながら、たくさんの相談にのっておられましたね。1分1秒の時間を惜しんで、1日中、手技・手当の手を休めることなく、続けておられましたね。
それはきっと予約して、来院が来るのを待ちわびている、たくさんのママたちのことを想いやっておられたのだと思います。
先生はその様にされながら30年をかけて数えきれないくらいのたくさんの母と子に極上の幸せをもたらしてくださいました。と同時に、各々のママの心に色々な種をまいてくださったと思います。
それは今「母親として」だけでなく「女性として」「人間として」「どのように生きてゆくのか」にまで芽が育ってきていると思います。
そしてそれが、いつの間にか、子から孫にまで自然な形で伝わっていくであろうことが素晴らしいと思います。
やはりスタートは「母乳育児」なのですね!旧石器時代以前からの人間の営みであるこの「母乳育児」への回帰が今望まれます。「母乳育児」が人を変え、環境を変え、世の中を良くすると思います。~母乳育児は世界を救う~まさにそうだと思いました。
(T・Nさん)


コメント